アンマのアシュラムで④
前回のブログの続き
その最大の特徴は、生きた聖人・グルを崇敬する事だと思う。
日本ではオウム真理教の事件のせいで、
宗教に対して、
特に「グル」と称し生きた人間を聖人として扱うことに対して、
「なんか怪しい」といった感覚を持つ人がとても多いと思う。
私も変わらず、そう思っていた一人で、
インド聖者で一番有名なサイババのことさえも、
当時、日本でのサイババの報道のされ方を見て
彼のことをペテン師だと思っていたし、
それが彼に対する世界の共通認識だと思っていた。
でも、ヨガを習い始めると、国内外の多くの有名なヨガの先生が、
当時、サイババのアシュラムまでに彼に会いに行っていたり、
実はインドでは国葬までされていて、
とても尊敬されている精神的指導者だと知り
「グル」と呼ばれる人たちに対する認識が徐々に変わってくるようになっていた。
スティーブ・ジョブスが亡くなった時に、
iPadの中に一つだけダウンロードされていた書物として有名になった
パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」を読んでも
ヨガナンダが数々の聖者の元を渡り歩き、様々な教えを受けながらも
自身の「グル」を探し求め続ける旅が綴られている。
アンマのアシュラムでも、おそらく1000人は超えるであろう外国人が
常時、インドまでアンマの元を訪れていて
しかも何年もの間をそのアシュラムで過ごしている人がいる、
という事実を目の当たりにして、
私はちょっとした衝撃を受けていた。
ちょっと前までの私の常識の中では、そういった人達というのは、
「変わった世捨て人」という認識で、
丸の内OLをやっていた私とは人生で交わる事のない人種の人々だったのだと思う。
しかし、仕事をやめ、ヨガを求めて世界の先生の元を訪ね歩き、
インドまで一人旅をするようになった私には、
目の前にいる彼らを、そこまで
「自分とは違う人種」という風には思えなくなっていて、
むしろ、彼らが何故、繰り返しアンマの元を訪れるのか、
彼らをそこまで強く惹きつけるものって何なのかを、
深く理解したいし、
そしてできるのであれば私も同じようにそう思える体験がしたい。
そんなような期待が、無意識 下で、
私の中で膨らんでいっていたような気がする。
つづく。。。