政治とか経済とか、あとスピリチュアルなんかも

タイトル通り、政治とか経済、そしてスピリチュアルについて気ままに綴っていきます。

ボランティア

先日、大西つねき氏の講演会に行ってきた。


講演会で伝えられる内容は

基本、YouTubeでアップされている

過去のものと一緒なのだけど、


毎回少しずつ切り口が変わっているので

何度聞いても楽しい。


今回は、大西氏が週一回通っている

高校でのボランティア活動について

いつもより詳細に語ってくれていた。


子供の貧困の実態や

大西氏が築いてきた生徒との関係を聞くと

大西氏の人柄がよくわかるし

やはりこういう、現場の目線を持っている人に

政治家になって欲しいと思う。


山本太郎も、議員になってから

毎年、年末の炊き出しのボランティアに出ているらしい。


その時のエピソードがFBで上がっているのを見て

印象深かったのでシェア。


https://www.facebook.com/100009651428785/posts/992265237771848?sfns=mo


この投稿をみた時に、

純粋にすごいな、って思ったのは

山本太郎よりも、この方の奥様の事。


山本太郎がボランティアするのは

パフォーマンスだ、と言うつもりはないが

議員であるので、ある意味わかる気がする


(とは言ってもそんな事する議員なんて、

山本太郎以外いないのだろうけど)


でも、この方の奥様は

ただ、ボランティアをその現場でする事を

選択した訳で。


私も、過去何度かボランティアはしているが、

ホームレスの炊き出しのボランティアをする

と言う発想が一切なかったので

世の中にそういう選択をしている方がいるのを聞いて

軽いカルチャーショックを受けた。


難民救済、フェアトレード、地雷除去

なんて聞こえの良い内容のボランティアや

寄付集めばかりに参加してきたが


今、日本で、明日食べる物がなく

冬を越せないかもしれない人達に対する

共感の思いが全くなかった事に気づかされた。


戦争など、不可抗力によって

弱者に追い込まれた人に対しては共感できていたが、


この日本で、ホームレスになると言う事に対しては


どこかで、


「自己責任でしょ」


と思っていた自分がいた。


でも山本太郎の演説を聞いていると

そんな事ないってわかる。


自己責任で片付けてはいけないって。


国のセイフティネットの政策次第で

やり直す事のできる人はたくさんいるのだと。


そのブレない思いがあるからこそ

山本太郎は炊き出しのボランティアを

続けてきたのだと思う。


やはり、この目線を持っている人が

政治家にいて欲しいと強く思う。


経済成長を目指す理由②

れいわ新選組から

重度障害者の議員が選出された事に対して

世論で賛否両論が分かれていた時、

私はあるブログの記事を思い出していた。


それは2008年に投稿された

社会派ブロガーChikirinさんの

「豊かになる意味」という記事。


10年も前の記事を思い出すのだから

よほど印象深かったんだと思う。


お気に入りの記事なのでシェア。


豊かになる意味

先進国になると必ずでてくるのが「これ以上、豊かになる必要があるのか?」といった議論です。

真夜中でも煌々と電気がついた街で、24時間多くのサービスが受けられるし、猛暑の中、クーラーで冷やした部屋でサマーセーターを着用し、冬にはシャツ一枚で歩けるくらい家全体を暖める。

「こんな生活をする必要が本当にあるのか?」とは、誰もが一度はもつ疑問でしょう。

政府は毎年、当然のように「何%の経済成長を目指す」と目標を掲げます。しかしいったい私たちは、何のために経済成長を目指すのでしょう?


私も以前はこの質問に明確に答えられなかったのですが、20代の終わりにアメリカに留学した時、その学生街でみた光景からこの問いへの自分なりの回答を手に入れました。

ちきりんが留学した大学のある街は、当時のアメリカにおいてさえ注目されているほど、極めて社会的に実験的な街でした。

ホームレスや障害者、まだ効果のある薬が開発されていなかった時期の HIV ポジティブの人など、

「弱者と呼ばれ社会から疎外されていた人達に、強者と同じ機会を与えるべき」

という思想と理想を、大学はもちろん街全体が実践しようとしていたんです。


バスはすべて自動昇降ステップがついていて、実際に多くの停留所で車いすの人が乗り降りしていました。

授業には聴覚、視覚、四肢様々なところに障害をもつ学生達が出ているのですが、彼らにはボランティアの学生が授業ごとに一対一でつき、ノートをとったり教科書のページをめくる手伝いをします。


そういった人達も学生寮で暮らせるよう、毎週1時間でもボランディアができるような仕組みになっていて、多くの学生が洗濯などの日常の手伝いや、外出の手伝いをします。

外出は、買い物や授業にいくなどの不可欠なものだけではなく、フットボールを見に行くとか、デートに行くとか、そういう外出も含めてサポートしてもらえます。

様々な条件をもつ人が「普通の生活を望むことの当然さ」を、街全体が受け入れていたのです。


その結果、全米から、そして世界から障害のある学生がこの街に集まっていました。

ここなら彼らも親元を離れ、大学生として一人暮らしや寮生活をすることが可能になるからです。

続きはChikirinさんのブログへ

https://chikirin.hatenablog.com/entry/20080223



経済成長を目指す理由②

れいわ新選組から

重度障害者の議員が選出された事に対して

世論で賛否両論が分かれていた時、

私はあるブログの記事を思い出していた。


それは2008年に投稿された

社会派ブロガーChikirinさんの

「豊かになる意味」という記事。


10年も前の記事を思い出すのだから

よほど印象深かったんだと思う。


お気に入りの記事なのでシェア。


豊かになる意味

先進国になると必ずでてくるのが「これ以上、豊かになる必要があるのか?」といった議論です。

真夜中でも煌々と電気がついた街で、24時間多くのサービスが受けられるし、猛暑の中、クーラーで冷やした部屋でサマーセーターを着用し、冬にはシャツ一枚で歩けるくらい家全体を暖める。

「こんな生活をする必要が本当にあるのか?」とは、誰もが一度はもつ疑問でしょう。

政府は毎年、当然のように「何%の経済成長を目指す」と目標を掲げます。しかしいったい私たちは、何のために経済成長を目指すのでしょう?


私も以前はこの質問に明確に答えられなかったのですが、20代の終わりにアメリカに留学した時、その学生街でみた光景からこの問いへの自分なりの回答を手に入れました。

ちきりんが留学した大学のある街は、当時のアメリカにおいてさえ注目されているほど、極めて社会的に実験的な街でした。

ホームレスや障害者、まだ効果のある薬が開発されていなかった時期の HIV ポジティブの人など、

「弱者と呼ばれ社会から疎外されていた人達に、強者と同じ機会を与えるべき」

という思想と理想を、大学はもちろん街全体が実践しようとしていたんです。


バスはすべて自動昇降ステップがついていて、実際に多くの停留所で車いすの人が乗り降りしていました。

授業には聴覚、視覚、四肢様々なところに障害をもつ学生達が出ているのですが、彼らにはボランティアの学生が授業ごとに一対一でつき、ノートをとったり教科書のページをめくる手伝いをします。


そういった人達も学生寮で暮らせるよう、毎週1時間でもボランディアができるような仕組みになっていて、多くの学生が洗濯などの日常の手伝いや、外出の手伝いをします。

外出は、買い物や授業にいくなどの不可欠なものだけではなく、フットボールを見に行くとか、デートに行くとか、そういう外出も含めてサポートしてもらえます。

様々な条件をもつ人が「普通の生活を望むことの当然さ」を、街全体が受け入れていたのです。


その結果、全米から、そして世界から障害のある学生がこの街に集まっていました。

ここなら彼らも親元を離れ、大学生として一人暮らしや寮生活をすることが可能になるからです。

続きはChikirinさんのブログへ

https://chikirin.hatenablog.com/entry/20080223



経済成長を目指す理由

れいわ新選組から出馬して

国会議員となった、

船後靖彦さんと木村英子さん。


重度障害者と言う事で注文も浴び、

障害を持つ当事者が国政の場に立つことに

歓迎や賛同意見で讃えられた。


それと同時に


障害者に国会の激務が耐えられるのか?


二人の為に国家内をバリアフリー化する為に

税金がかかるのはいかがなものか?


などの批判意見も多く出た。


正直、私自身もALSの船後さんのインタビューを見て


これで国家答弁するのは、

正直厳しいのではないか、


と思ってしまった。


でも、そんな批判一つ一つに答えていく

山本太郎のブレない姿勢。


障害者が国会の激務に合わせるのではなく

国家の審議が障害者の歩調に合わせるべき


と言うのを聞いてはっとされられた。


山本太郎は繰り返し言う


利便性、効率性、生産性だけを重視する社会でいいのかと?


そこに着いていけない弱者は切り捨てられる

そんな弱者が死にたくなる、自殺率の高いこんな世の中を変えたいと。


だからこそ、山本太郎はそのメッセージを

強く象徴する、重度障害者の二人を

特定枠の1 位2位で出馬させたのだなと。


私自身の目線が

障害者や弱者の目線に立てていないことを

思い知らされた瞬間だった。

お金なんて実在しない

大西つねき氏の話や

MMTの理論を理解すると、


お金って幻想で、存在しないと言う事がよくわかる。

我々は幻想のお金が限られたもののように錯覚させられ、

その限られたお金を奪い合うゲームに強制的に参加させられている。


お金が全ての目的になり、

お金が決断や行動の理由になる事が当たり前になってしまっている。


正にお金の奴隷そのもの。


大西つねき氏は言う、

経済とはお金ね動きの事ではなく

価値と価値の交換の事だと。


お金なんて言うのは、

ただ人から人に流れていくだけのものであり

そこに勿体ないなんて概念を持つ必要はないと。


本当に価値があるのは

人間1人1人の労力や時間、

そして地球資源であると。


お金は人の間を流れて失われたないが、

人間の労力や時間、そして地球資源は

一度失われると二度と元に戻らないと。


こんな視点を持った人に政治家や

総理大臣になって欲しいと心から思う。






MMTと三橋貴明②

MMT について調べていた時には

出会ったどうががこちら


http://www.youtube.com/watch?v=CMLYpWlQp1E


これを見ると

国に借金を返す為に消費税を増税する事が

どれだけナンセンスなのかがよくわかる。


大西つねき氏の説明は

民間銀行の信用創造についてだったが


三橋貴明氏の説明は

実際に政府が国債を発行したときの

お金の流れを説明してくれているので


国の借金を返す必要が無い事が

具体的にイメージできて分かりやすい。


ある程度、経済学の基礎知識がある人には

三橋貴明氏の説明の方が

理解しやすいと思う。

MMT と三橋貴明

大西つねき氏の講演を聞いた時

なんだか凄い話しを聞いた気がしつつ

一方で、頭にモヤや霞がかかったような気がして

「本当かな?」って思いが湧いてきた。


金融機関に長く勤めていたので、

日経新聞は常に読んでいて


信用創造のことや

対外純資産の事は知ってはいた。


知ってはいたが、大西つねき氏のような

通貨の発行の仕組みについての理解に至っていなかった。


パズルのそれぞれピースの事象はわかっていても

それを繋ぎ合せた時の全体像を把握していなかったのだ。


それはあくまで、従来の経済学の常識や

こうであるもの、に洗脳されていた結果だったと

今更ながら気がつく。


大西つねき氏の動画を見た後

私は明確な根拠を知りたくて

MMTについて調べてみた。


そんな時に出会ったのが、

下記の三橋貴明氏がMMTについて説明している動画だった。