政治とか経済とか、あとスピリチュアルなんかも

タイトル通り、政治とか経済、そしてスピリチュアルについて気ままに綴っていきます。

アンマのアシュラムで

前回のブログの続き

 

hiiaka.hatenablog.com

 

1ヶ月のインド・ケララ州滞在の最終目的地がアンマのアシュラムだった。

アンマは1年の半分はワールドツアーに出ていて

アシュラムにいらっしゃらいない事が多いのは事前に知っていた。

 

私がインドに着いた時も、アンマはヨーロッパツアーに出ていて、

知り合った現地のインド人に「この後アンマのアシュラム行くんだ」って言うと

「今アンマいないよ。昨日ローマ教皇とイタリアで会談しているの

ニュースでやっていたから」なんて親切に教えてもらったりもした。

 

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それは、世界の宗教者が集って、現代の奴隷制度撲滅を目指す共同宣言をしたという

歴史的なニュースだったよう。

 

ちなみにローマ教皇の左隣にいらっしゃる女性の方は
禅師のティック・ナット・ハン氏の高層の方。

 

どの宗教もそうでしょうが、男性の権威が強いヒンズー教と仏教の打表に

女性の指導者を招待された教皇の意図が伺える。

 

私としては、ヒンズー教のアシュラムがどんなものか知りたかっただけなので

アンマがいなくても、アシュラムには訪れようと思っていた。

 

ただ、訪れる日が北米ツアー最終日の2日後だったので、

「もしかしたら帰ってきているかも」なんて淡い期待は抱いていたりもして。

 

アンマのアシュラムへの道のりは陸路と水路があり、

私は行きは陸路を選択した。

 

最寄りの駅を降りたとたん、白のパンジャビを着た、

いかにもインドの生活にこなれた雰囲気のブロンドの女性が

「アンマのアシュラムに行くの?」と話しかけてきてくれた。

 

アンマのアシュラム以外にとくに観光地もないこの駅で降りる外国人は

ほとんどはアンマのアシュラムに向かう人だとわかって、声をかけてくれたらしい。

 

聞くと彼女はイタリア出身で、もう7年近くアンマのアシュラムに暮らしていて

アシュラム内に自分のアパートメントの部屋を契約しているという。

 

イタリアから両親が会いに来ていたので、

一緒にケララを旅行してきた帰りなのだそう。

 

最寄り駅から、アンマのアシュラムまではオートリクシャに乗って30分くらい。

「一緒に乗ろう」とそのイタリア人の女性が道案内してくれたから

インドの一人旅にまだまだ慣れないでいた私には渡りに船の申し出だった。

 

その彼女からも

「アンマは今はヨーロッパツアーの最中だし、すぐに北米ツアーが始まるから会えないと思う」

と言われ、私は人生初めて聖者に会うという経験は半ば諦めていた。

 

アシュラムにつくと、その彼女はsweet homeに戻ったかのように、

すれ違う人、すれ違う人とハグをして挨拶をしながら

私を宿泊者の登録場所まで案内してくれた。

 

一通りの手続きを済ますと、

彼女が遠くから走ってきて興奮しながらこう伝えてくれた。

 

「あなたラッキーね、アンマは今日帰ってくるって!

明日はダルシャンが行われるわよ。

あなた、明日アンマに会えるわよ!!」

 

その彼女の興奮は、私がアンマに会えるというタイミングの良さに対しではなく

自分が明日アンマに会える、という喜びに対する興奮だというのが

すぐに感じとる事ができた。

 

7年もアシュラム内に住んでいるのだから、

もう何度もアンマに会っているだろうに

それでもこうやってお会いできる事が喜びにつながる存在。

聖者ってどんな存在なのだろう?

 

私の中で、期待と疑心がうごめいたのをよく覚えている。

 

まだまだ、続きそう・・・・。