政治とか経済とか、あとスピリチュアルなんかも

タイトル通り、政治とか経済、そしてスピリチュアルについて気ままに綴っていきます。

一票の格差と特定枠

今回の参院議員選挙で、

れいわ新鮮組が注目を浴びた一番の理由は、

 

重度障害者の候補者である

船後靖彦さんと木村英子さんを

特定枠を使って比例の1位と2位にして出馬させ、

 

結果、この2人による2議席を獲得した事であろう。

 

史上初の重度障害者を国会議員として送り混んだ事で、

 

国会をバリアフリーにする為の工事が行われたり

 

就労すると、「重度訪問介護」サービスを利用できなくなるという

障害者福祉制度の問題が浮き彫りになったりと、

 

今まで起き得なかった、変化が目に見える形で行われた。

 

この2人を特定枠にした事で

山本太郎自身は比例の3位での出馬。

 

東京選挙区を野原氏に譲り、

さらに比例 でも自身を3位に置く事で

背水の陣をとっての戦いに挑んだ山本太郎

 

この戦略に、山本太郎が、本気で政治を変えようとしている

心意気を感じて、多くの人が共感し、支持したのだと思う。

 

ほとんどの国会議員は

自身が「議員である」事を一番の優先順位にし

保身に走る人ばかり。

 

なのに、山本太郎は、「自分一人が議員になっても仕方がない」と訴え、

本気で自分以外の候補者を国会に送り込む事で

政党を確率し、政権を取ろうとしているのである。

 

誰もが「うまい!」と思ったこの戦略の背景にある

特定枠とは、いったいどんな制度であり、

なんの為に始まったのか、少しまとめてみたいと思う。

 

 

野原ヨシマサ⑥

一般の人が、選挙に出馬するという事は

どれだけのリスクを負う事になるのかと考えると

野原氏の勇気を讃えざるを得ない。

 

しかも彼のように、自らが所属しているコミュニティを

真っ向から批判する形での出馬だ。

 

沖縄から、遠く離れた東京での出馬。

色々とストレスや辛い事も多かったであろう事は

容易に想像できる。

 

これで当選すれば当然報われるのだろうが、

落選してしまうと、失ったものばかりが

フォーカスして見えてくるかもしれない。

 

地元沖縄に戻り、

今、彼はどのように感じているのだろうか。

 

開票直後では、次の衆院選でも

引き続き出馬して戦うとおっしゃっていた。

 

メディアに大きく取り合えげられるようになった

れいわ新撰組の報道を見て

 

「次こそは」と、闘志を燃やし続けていてくれたらと願う。

 

 

野原ヨシマサ⑤

野原氏の演説で一番共感する言葉

 

自公連立政権ができてから、本当に世の中ダメになりましたよね。平和、福祉と言いながら、安倍の悪事の片棒担いで、ここまで世の中ダメにしてきましたよ。だから、政治改革するための手っ取り早い方法は、公明党を潰す事です。」

 

正直、本当にそうだと思う。

 

政治改革するための手っ取り早い方法は、公明党を潰す事です。」

 

私は別に、安部政権を全否定するつもりはない。

 

辺野古の問題も、原発の問題も

理想を言えば、両方とも廃止するべきだと思うし

そう主張する政党を私は支持している。

 

でも、そうは簡単にいかない事情が

日米安保の問題だったり、エネルギー政策の問題だったり)

あるのだという事も理解できる。

 

倫理観と比較したら、比較するべき事ではないのかもしれないが、

現時点では倫理観よりも「色々な関係性」が優先されていて

 

そして、そうする事を「善し」とする人は少なからずいるのが事実な訳で。

 

だまされている訳でもごまかされている訳でもなく

ちゃんと事実を理解した上で、

安部政権の政策を支持する人がいる事は理解できるし、

そういった意見も、民意の一つとして尊重するべきだと思っている。

 

自民党が常に単独で過半数議席を取った上で、

政権を担っているのであれば

今までの政策は全て民意の現れなのだと納得ができる。

 

しかし、今回の選挙結果のように、

自民党だけでは単独過半数が確保できていない事はよくあるのだ。

 

もし、自公による連立がなければ、

自民党単独過半数割れを起こした時には、

二大政党による定期的な政権交代という事が起き得たのかもしれない。

 

しかし、公明党自民党と最初に連立を組んだ、1999年10月以降、

民主党政権の3年半を除いて、「自公」連立は16年以上続いていて

安定政権の枠組みとなってきた。

 

 

連立を組む前までは、散々自民党を批判していた公明党

連立を組んだ後は手のひらをかえしたように、

自民党の政策に加担し続けている。

 

その事を私はずっとおかしいと思い続けていた。

 

でも、党の理念とかけ離れた政策を公明党が支持し続けてきても、

公明党には離れる有権者はいない。

創価学会があるからだ。

 

どんな事があっても、公明党に投票する創価の組織票。

その盲目的な投票行動に私は嫌悪感を抱かざるを得なかった。

 

しかし、20年の時がたち、

さすがにおかしいだろう、と思う人たち出てきて、

大きな声をあげ始めたのである。

 

公明党の存在をずっと苦々しい思いで見ていた人にとっては

思ってもみない奇策が飛び出してきた訳で、

 

山本太郎が言う

「こんなに面白い選挙、今まで見た事ないだろう」という掛け声に

思わず応じてしまうのである。

野原ヨシマサ④


現役創価学会員が公明党代表とガチ喧嘩 野原ヨシマサ(れいわ新選組代表・東京選挙区)20190712 東京・品川駅港南口前

 

野原氏の演説を聞いていると

本当に信心深い方なんだろうな、

ということがよくわかる。

 

創価学会の教えに、

深く帰依しているからこそ、

公明党が行なっている政治に矛盾を強く感じざるを得なかったのだろうと。

 

そして逆に、強い信仰があるからこそ、

執行部からデマを流され、村八分のような扱いを受けても

体制を恐れ、体制に流されることなく

自分の思いを迷わず主張することが可能なのだろうと。

 

この事がどれだけの多くの学会員の気持ちを揺り動かしたのだろうか。

 

選挙結果は、野原氏21万票に対して、

山口氏81万票と惨敗。

 

公明党の牙城は簡単には切り崩せない事を

思い知らさせれることになってしまった訳なのだが、

 

野原氏が開けた風穴は、今後じわりじわりと

学会員の間で広がっていくのではないかと、期待している。

 

2議席を獲得した事により、れいわ新選組知名度は上がり

政党要件を満たしたので、メディアの注目の仕方も格段に変わってきている。

 

次の衆院選にも出馬すると野原氏は言っているので

次回こそは是非、万全の対策で選挙に臨み、

公明党を切り崩してもらいたい。

 

野原ヨシマサ③

創価学会員や選挙・宗教に興味のある人には

大きな衝撃を与えた、野原氏の出馬だったが


メディアで大きく取り上げられる事もなく

世間的にはそんな事が起きてる事すら知らない人の方が多かったのかもしれない。


野原氏の得票数は20万票代で

前回の山本太郎の得票数66万票に遠く及ばず落選。


敗因は多く語られているが、

やはりれいわ新選組からの立候補が直前に決定した事による

準備不足が大きかったのではないか。


れいわ新選組自体の認知度が低かったので、

山本太郎の名前がなく、

創価学会員である事が書かれただけの選挙ポスターでは、

多くの人が公明党の候補者と勘違いしたのではないか、という憶測。


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このポスターに山本太郎の名前と写真を載せる事が出来ていたのなら、

随分と結果は変わっていたのかも。


もう一つは、前回の山本太郎支持者で、

原発反対に重きを置いている人は

原発反対を第一に動いている候補者の方に票が流れたのではないか、という憶測。


やはり、辺野古の新基地建設の問題を全国の国民の問題として考え、他の都道府県に平等に引き受けてもらう、という主張と


創価学会の内部分裂の要素が強い訴えでは

東京都民の心には残念ながら響かなかったのかもしれない。


野原ヨシマサ②

2013年の参議院議員選挙
山本太郎は東京選挙区から無所属で出馬。
66万票を獲得し、4位で初当選した。

山本太郎1人が、議員として当選する為だけであったら、
山本太郎は今回も東京選挙区から出馬していれば
手堅く票を集める事ができ、楽に議員になれたのだと思う。

しかし、そこを敢えて、東京選挙区からの出馬枠を野原氏に譲り
自分は比例区から出馬するという選択。

本当に世の中を変えていく為には
自分一人が議員になっただけではしょうがない、
という事を彼は6年間で痛感させられたという。

一人でも多くの仲間を国会に送り込みたい、

その為の奇策として、東京選挙区での自分の票を譲ってでも当選させたかったのが
野原ヨシマサ氏だったのだと思う。

それは、公明党創価学会の間に楔を打つには
十分すぎるインパクトを世間に与える事になるし、

盤石と言われて組織票を持つ公明党を揺さぶる事は、
連立を組む自民党に大きな衝撃を与える戦略だったのだと思う。

野原ヨシマサ

私がれいわ新選組に注目した理由。


それは、今話題の重度障害者の

船後さんと木村さんを候補者として

擁立したのも凄いと思ったけど、


何よりも、創価学会員の野原ヨシマサ氏を

擁立したこと。


それは全国民が、何があっても

創価学会員は公明党を支持するものであると言う

日本国民のタブーを破るムーブメントを作った画期的なことだと思う。


公明党が安倍政権に追随している事に対し、

元来の福祉の党のあるべき姿と乖離しているという創価学会員からの公明党に対する批判は数年前から出てきてはいた。


特定秘密保護法に反対した、

SEALDsの学生デモにも学会員の学生が賛同していたし、


沖縄知事選では、

公明党が支持する左喜真淳氏ではなく、

辺野古新基地建設反対を訴えた

玉城デニー氏に投票した学会員はかなり多かったという。


そして今回、沖縄から玉城デニー氏を応援していた

創価学会員の野原氏がれいわ新選組から立候補したのである。


これはきっと、公明党が支持する人以外の候補者に投票したり

表だって応援するというのとは、訳が違う出来事である。


しかも出馬したのは東京選挙区。

公明党の党首である山口氏と同じ選挙区である。


連立を組むまでは、ずっと自民党を批判し続けていた公明党

手の平を返したように、連立を組み、

自民党に懐柔されしまった公明党

腹立たしい思いを感じていた人は多いと思う。


どんな批判をしても、創価学会と言う組織票を持つ公明党は岩盤のように強く

連立与党の壁を崩すのは容易ではないと思われていた。


それが、創価学会内部から崩れてきたのである。


こんなことは、公明党設立以来起こった事のない、

歴史的な事だったのである。