政治とか経済とか、あとスピリチュアルなんかも

タイトル通り、政治とか経済、そしてスピリチュアルについて気ままに綴っていきます。

アンマのアシュラムで10

前回のブログの続き
 

hiiaka.hatenablog.com

 

アンマのハグを受けるまで、あと3人というところまできた。

ハグを受ける為のダルシャンラインについている

セバの方々の対応がいままで一番厳しい。

 

人々を前へ、前へと隙間なく詰めさせ、

ハグが終わったら、いつまでも余韻にひたったり

アンマから離れないでいないよう、

すぐに抱き上げられてアンマの元から離れさせられる。

 

何せ、何千、何万もの人々を長時間かけて捌いているのだ。

効率良くしなければならないのは致し方ない事だと今は理解しているし、

それがアンマに負担をかけさせない為の配慮な事もよくわかる。

 

でも、結構殺伐とした雰囲気なので、最初はびっくりする。

とにかく流れを乱す訳にはいかず、

その暗黙のルール感は東京の満員電車よりもシビアだ。

 

いよいよ私の番が訪れる。

アンマに体重をかけないように、台座に手を置いて、なんて考えていると

アンマに、グワッと引き寄せられて、抱きしめられる。

 

ぶっちゃけ、結構手洗い(苦笑)

そして想像より、かなり力強く抱きしめてくださる。

 

なので、アンマに体重を預けないようにしない訳にいかない状況になってしまう。

 

「どうしよう、いいのかな?」

 

頭の中はそんな事でいっぱいで、聖者の愛に抱かれている感覚もない。

 

そしてハグの時間も思いの外長いのである。

 

でも、である。

 

いきなり、アンマが私の頭越しに、お付きの人に何かを話しかけ始めた。

 

地元の言葉なので、何を言っているかわからないが、

その口調から、なんだかとても怒っていて、

お付きの人を叱責している雰囲気。

 

「え?聖者って怒るの?」

「しかも私を抱きしめている間に?」

 

私の中に確固としてあった、聖者のイメージが壊されて、

ちょっとショックを受ける。

 

その後、私の耳元で「マーマーマーマーマー」と囁いてくださり

ふと、抱きしめてくださっていた腕の力が抜ける、

 

あぁ、終わったんだぁ、と思った瞬間、

お付きの方に、その場を去るよう、促され

慌ただしくその場を去った。

 

舞台袖に退去してから振り返り、

例のスエーデンの子がダルシャンを受けるのを見守る。

 

なんと、さっきまで怒っていたアンマが、

(別に私に対して怒っていた訳ではないが)

なんだかすごい笑顔で彼に接している。

 

しかも普通は手渡しするプラサード(その時はチョコレートだった)を

直接彼の口の中に入れて、食べさせてあげたりしている。

 

なんだか、すごいえこひいき感を感じてしまう私。

 

その事を次の日、長くアンマの元で修行されている方に体験談として言うと

「アンマはお母さんだからね、女の子には厳しくて、男の子には甘いのよ」

と笑顔で返されて、これまた驚かされたのをよく覚えている。

 

 

そんな感じで、私の人生初のダルシャンの体験は終わった。

 

前出のフランスの映画監督クロード・ルルーシュ

 

「アンマの抱擁には、アカデミー賞パルムドール賞を受賞した時よりも感動を覚えた」

というような感動を覚えることは私はなく、

 

アシュラムに訪れている日本人の方々が口にするような、

 

「一目あった時から深いつながりを感じた」

「アンマに抱きしめられると深い愛と慈悲に包まれた」

 

という事を感じることもなかった。

 

チョコをアンマに食べさせてもらったスエーデンの男の子にも

どうだったか聞くと、全く同じ感想。

 

とても良い経験だったよ。

でも、おそらくこういう場所に再度訪れる事はないと思う。

 

そう彼が言ったのを、覚えている。

 

そうだね、きっと私も、と言いながら、

 

私もこの体験は、旅先での、

日常から離れた世界での、の1つの体験にしかすぎないととらえていた。

 

それが、この世界への、導きの瞬間だった事を理解できるようになるのは

それから何年か経った後の事になるのだけれど。