政治とか経済とか、あとスピリチュアルなんかも

タイトル通り、政治とか経済、そしてスピリチュアルについて気ままに綴っていきます。

グルを持つという事

インドから帰国後、数年が経ったのち、

私はとあるインド聖者の団体とご縁ができ、

そのコミュニティに属す事になる。

 

そのグルに対しては、アンマの時とは違った

何か特別な物を感じたのか?

というと、決してそう言う訳でもなく。

 

アンマの時と同じように、偶然が重なったご縁でつながり、

そして、何か確固たるコミットをそのグルやそのグルの教えにする訳でもないのに

何故かそのご縁がずっと重なり続けている。

 

自分から何かの教えを求めた訳ではないのだが、

グルの教えを受ける中で、

感じたり、驚いたり、不思議に思ったり、

期待したり、疑心暗鬼に思ったり、裏切られたと感じたり、

そんなような心の動き一つ一つに向かいあう事が、

全て自分自身という神に繋がる為の学びであったように、今では感じる。

 

ずっと違和感を感じていた、ヒンズー教の教えも

繰り返し学んでいるうちに、最初に感じていた矛盾や否定の気持ちも

大きなエネルギーの波動に包まれて、面白いように変容していった。

 

そうは言っても、誰かに興奮して話をするような

神秘体験をした訳でもなく。

 

日本に来日される、どのグルに対しても確固たるコミットをせずに

来日される方がいれば、訪れてダルシャンを受けるという事を続けている。

 

私の感覚としては、聖者って動く神社のような感じで、

その神聖なるエネルギーや波動に触れさせて頂く為に、

京都に言ったら、神社仏閣に参拝するように、

聖者がわざわざ日本にいらして頂くのであれば、

祝福を受けにダルシャンに行こう、と言うような感じなのである。

 

でも、その行動を、よく家族や友達に不思議がられる。

 

アンマのアシュラムに訪れた時の私がそうだったのだから、

彼らがそう思う理由もよくわかる。

 

よく、聖者の団体のHPを見ると、

聖者にあった方の色々な神秘体験が綴られている。

 

長年の病気が治ったなどの、

いわゆる「奇跡」体験も決して少なくない。

 

人々はそういった事を眉唾に思いながらも、

心のどこかでとても期待している。

 

だから、私が繰り返し、聖者の元を訪れている事を知ると

何かそのような特別な体験があるからだろうと思われるのだけど、

残念ながら私にはそのよう事はなく、

 

ただ、こういったコミュニティに属していると

そういう話は普通によく聞く話だ。

 

 

 

では、何故ある人には奇跡が起きて、

他の人には起きないのであろうか?

 

つづく