政治とか経済とか、あとスピリチュアルなんかも

タイトル通り、政治とか経済、そしてスピリチュアルについて気ままに綴っていきます。

グルを持つと言う事②

思春期の頃、

「私の気持ちなんて誰も分かってくれない!」

なんて真剣に悩んでいたけど、


大人になって、歴史や哲学、宗教について知識を深めていくと

人間の悩みなんて、4、5千年万年から何ら変わっていないって事に気づかされる。


自分だけが悩んでいたと思っていたその悩みは、

既に4千年前の誰かさんに同じ様に悩み尽くされてきたわけで、


私達は使い古された悩みを、

何代にも渡って後生大事に握りしめ続けているにすぎないのかもしれない。


その悩みに対しての対応策が

宗教や哲学が示すもののはずなのだが、


数千年経っても、人類が同じ悩みから抜け出せていないのであれば、

宗教や哲学は有効な対策を示せていないのかもしれない。


もしくは、人類が

「そうは言っても」と言って、

聞く耳を持てないでいるだけなのか。


神や聖者の存在、奇跡体験などを、

科学的ではないと思う人がいる。


彼らがそう思のは、その体験に再現性がなく、

あくまでも個人的なものになってしまうからだろう。


病気が治癒した、と言う伝説は世界各国無数にある。

でも、その後何千、何万と言う人が、

その土地や人を訪れても、全員に同じ奇跡が起こる事もなく、

むしろ恩恵に預かれないでいる人の方が圧倒的に多いのだと思う。


何故そのような差や、違いがあるのか。


こういった事は、宗教や信仰に深く携われば携わる程に強く浮かんでくる、

神や信仰に対する懐疑的な疑問なのだと思う。


日本のサイババブームの火付け役である青山圭秀さんの本にも、同じような問いが見られるし、


マーティン・スコセッシによって映画化された

遠藤周作の「沈黙」では、正に神の沈黙が主題になっている。


その疑問の答えも、やはり個人的な解釈になってしまうから

伝わりずらいし、明確な回答が得られないでいるのだけど、


これまた私の個人的な解釈でいえば、

その疑問に向き合う事で、


見えてくる自分の中の真理と

削ぎ落とされる自分の中の思い込み


この二つを永遠に繰り返す事で得られる何か、

もしくは繰り返す事自体が答えなのかもしれない。

(知らんけど)


こう言った問いは考えだすとキリがなく

たまに鬱になりそうになるけれど、

必ず自分の中で腑に落ちる瞬間が来る

(そしてすぐまた疑問に帰るのだけど)


それを繰り返す事で、

自分の中の何かが拡大して言っているのを

確実に感じている。

(これまた個人的な体験に過ぎないのだけど)


グルや神や信仰って、この道を示してくれる存在なのだと、

私自身は思っている。